たわ言と暴言に満ちた僕の音楽遍歴

名もない、しがない、金もない僕の音楽遍歴にどんな需要があるのだろう。でも誰かに話したくて仕方がない。そんな僕の音楽評論を装ったエッセイブログです。

路地裏の少年はカラオケが苦手

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僕はカラオケが苦手である。

名誉のために訂正しておくと、音痴だから人前で歌を披露するのが恥ずかしいわけではない。まあ、決してうまいわけでもないが。

理由は楽器が趣味であることによる。

一つは「練習してるわけでもないのに、人前で音楽を披露するなんて・・・」と、謎のプロ意識が働いてしまうこと。

そして、カラオケで満たすべき欲求は、ほとんど楽器の演奏で満たされているため、カラオケに行くこと自体に魅力を感じないためだ。

 

などと書くと、「拙者、サックス奏者故に…」となんだかカッコいい感じになるが、最大の理由は「他人の趣味にあう(あるいは良く知っている)曲を知らないから」である。

僕が好きな音楽は周りの人があまり知らないし、周りが好きな音楽は僕が知らない。

だから、人が歌う曲に興味を示せないし、僕が歌うとみんな「・・・知らない曲だけど、いい曲だね!」などと気を遣わせてしまう。

人のことなんて気にせず、自分が歌いたい曲を歌えばいいじゃない!と思う方もいるかもしれないが、そう思えない理由は幼き頃の悲しい思い出にある。

 それは、町内会の行事での出来事であった。

僕の住んでいた地域の町内会では、日帰り旅行が毎年あった。

僕の父親は自営業という事もあり、毎回幹事?世話役?のようなことをしていたため、幼いころはよく一緒に連れていって貰っていた。

町内会の行事ということもあり、参加者はおじいさん、おばあさんばかりである。

そのため、唯一の子供であった僕は、周りのご老人方にそれはそれはかわいがられた。

さて、そんなある日の町内会旅行でのことであった。

宴会用の広間で食事をしていたところ、どうもそこの宴会場に備え付けてあるカラオケが使用可能できるということで、急きょカラオケ大会が開かれた。

演歌や歌謡曲を歌うご老人達。

僕はご飯を食べながら「どれも同じ曲に聞こえるなぁ」などと思っていた。

つまらなさそうにしてたのを見られていたのか、唯一のがきんちょだったからなのか分からないが、僕も何か歌うことになった。人生初のカラオケである。

初めの記事でも書いたが、僕は生れてから文字通り浜田省吾漬けの生活を送ってきた。

人前で曲を歌う=浜田省吾 という思考にしかならないのも無理はない。

そこで、父親に入れてもらったのが「路地裏の少年」である。 

路地裏の少年

路地裏の少年

 

 またまたご冗談を。

小学生にもなっていないガキが、歌詞も読めないのにカラオケで路地裏の少年なんて歌えるわけがないだろう。と思われるかもしれない。

それこそ冗談ではない。

こちとら生まれてこのかた人生のほとんどを浜田省吾に注いできた、いわば浜田省吾に限れば英才教育を受けてきたのである。 

kei802.hatenadiary.jp

 そんな私にとって、歌詞の暗記など造作もない。

 

つつがなく路地裏の少年を歌たい終わり、席に戻った僕はなんだか周りの空気が妙であることに気がつく。

隣に座っていたおばさんに、どこか困惑したような顔で「難しい曲を知っているのねぇ」と言われてようやく気付く。

どうやら、路地裏の少年は子供がカラオケで歌う曲ではなかったらしい。ということに。

今から考えれば、あの現場に居合わせた老人方の困惑はよくわかる。

きっと、子供らしく「犬のおまわりさん」とか「ちょうちょ」とか童謡を歌うものだとばかり思っていたのだろう。誠に申し訳ない。

そして、また路地裏の少年というチョイスもあまりよくなかった。浜省ファンの方なら分かると思うが、この路地裏の少年という曲、8分30秒ほどとJ-POPとしては長いのだ(JAZZならイントロがようやく終わった頃だろう)。しかも、曲の途中に1分20秒もの間奏が入る。

知らない歌を8分も聞かされる上に、1分以上の間奏。どう場をつなげろというのだ。老人たちの苦悩が手に取るようにわかる。誠に申し訳ない。

もちろん当時は「なんだか反応悪いな。やっぱり曲知らないのかな?」くらいにしか思っていなかったが。

それにしても、この件で最も責められるべきは父親だろう。

いくら、我が子が路地裏の少年を歌いたいと言っても、それをそのまま入れるべきではなかった。やんわりと童謡に誘導すべき責任があったのではないかと思う。

だから僕は悪くない。

悪いのはブレーキ役として機能しなかった父親と、英才教育、もとい洗脳を行った母親だ。

 

数あるブログの中から、ここまで読んでいただきありがとうございました。

また、会いましょう。